妊娠高血圧症候群で超未熟児を出産したお話です。
708gだった娘も、今では3歳になりすっごく元気!
大切な想い出なのでまとめておきたくて、記事にしました。
いつごろどんな経緯で診断されたかなどは 前記事で。
今回は、入院~出産当日の様子について書きます。
目次
入院
前回の記事で書きましたが、27週の妊婦検診で突然の入院が決定しました。
病名は「妊娠高血圧症候群」。
一昔前は、妊娠中毒症と呼ばれていたそうですね。
検査と入院
病棟へ向かう前に、心電図やレントゲンの検査を回りました。
たまたま夫が一緒に来てくれていたので、荷物など持ってもらい安心。
1人だったら心細くてしょうがなかったと思います・・!
もう出社できないので、検査待ちの時間で会社へ連絡など結構バタバタ。
そして病棟へ。同じ建物内だったのでエレベーターであがるだけです。
看護師さんたちから「歩いてきたの?!車いす使わなきゃ!!」と大慌てで座らせられました。
この時点でも、特に自覚症状なし・・。自覚症状ないのが一番怖いらしいですね。
体重や血圧を測り直して、入院。
この時点で血圧は177でした。普段より100近く上なのはさすがにびっくり。
体中むくんでいて、結婚指輪がなかなか抜けませんでした。
取れなかったら切るかもって言われてびっくり。
え、結婚指輪ですよ・・?
(このときは、そんなにすぐ手術する可能性があるなんて思っていなかった)
なんとか取ることができて本当によかったです。
投薬と監視
入院してすぐ病棟にいる先生によるエコー。
そして張り止めの薬、減圧剤(血圧を下げる薬)などなどを点滴で投薬。
赤ちゃんの肺の成長を促進させる薬も肩から数回打ちました。
さらっと書いてるけどめちゃめちゃ痛かったです。
我が子のためじゃなかったら絶対無理拒否。
減圧剤がかなり強いみたいで、「尿が出てないと死ぬから」と言われ排泄した量を測るよう言われました。
え、待ってそんな重病人なの私、え・・??
ひざをたたいてビクッて反応があるか膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)も細かくチェックされました。
そして夜中に担当の先生によるエコー。
外来のあとでお疲れなのにすみません・・。
この時点でのエコーは特に問題なし。
やっと寝れるーと思ったら、AM1時からずっとNST!
ちょっとまどろんだものの、まったく眠れませんでした。
入院した時点から禁食(つまり検診前から何も食べていない)状態でしたが、不思議とお腹は減りませんでした。
予想外の説明と当時の気持ち
私としては、仕事も忙しかったし休むのも申し訳なかったし、いっそ入院って診断出たほうがゆっくりできるかなー。逆によかったかもなー。
なんてお気楽に考えていました。
噂に聞く切迫治療みたいに、予定日まで3カ月間、入院して過ごすのかなーと。
よくなってきたらお家でゆっくりしてればいいのかなーと。
そんなのほほんとした空気が伝わったのか、先生から「産むまで退院はありえないからね」とグサリ。
そして「というか、もう今日切るか明日切るかって感じだよ」とブスリ。
もう全然実感がわかなくて、え、だってあと3ヶ月?え、赤ちゃんって今出てきて大丈夫なもんなんですか??え?(助からないとは微塵も思っていない)
ここでようやく事の重大さに気づき(遅い)、母子ともに命が危険な状態なんだとわかりました。
妊娠高血圧症候群は、いわば妊娠が原因の病気。
妊娠を継続すると母体が危険→つまり赤ちゃんも危険な状態になってしまうわけです。
治療方法は、「妊娠をやめること」。
かなりショッキングな事実でした。
妊娠をやめる、つまり出産すれば、母体も赤ちゃんもそれぞれ適切な治療ができるようになるというわけです。(お腹の中にいるとどっちの治療もできない)
先生はとても丁寧だったので、赤ちゃんの命は心配しなくていいこと(未熟児ゆえの困難はあるけど)、病気になった原因があるわけではないこと(私が悪いわけじゃないよというフォロー)、医療センターがお城みたいにかわいいこと、などなどを明るく話してくれました。
なにがわからないかすらわからない状態でしたが、私に選択肢を迫られているわけではなかったので、もう先生にすべてお任せしよう、という気持ちでした。
先生に安心感と信頼があったのが、本当にすごくありがたかったです。
こんな話を聞きながら、エコー映像のなかの我が子は大きなあくびをして安心させてくれました。
出産
そして翌日、ついに緊急帝王切開の判断が下ってしまいます。
奇しくも私の誕生日。
本当ならティンカーベルルームのベッドの上にいたはずなのに・・!
なんで病院のベッドの上で計器に囲まれてるんだ?!!
出産が決断されるまで
朝から看護師さん、助産師さんが入れ代わり立ち代わり検査に来てくれます。
この日もNSTにずっと繋がれていましたが、どうも動きが弱い様子・・。
産科の先生が二人がかりで検査しに来てくれました。
NSTでもエコーでも、赤ちゃんがあまり元気がなく心拍も弱いとのことで、緊急帝王切開が決定しました。
このとき確か朝8時くらい。しかも土曜日。
病院としても万全な体制ではなかったと思います。本当に頭が下がります。
なんとこのときの先生もその日が誕生日だったようで、「同じだねー♥」なんて気持ちを和ませてくださいました。
この時点ではなんとか歩けたので(今思うとこわい)、電話OKの場所へ行って夫に連絡。
すぐに駆け付けてくれました。
帝王切開による出産
8時の時点で30分以内に切る、と言われていましたが、ちょっと安定したので保留され、なんやかんや14時くらいに手術室へ。
減圧剤やら張り止めやらの影響で、まぶたと鼻の境目がわからないくらいパンッパンにむくんでいました。
ストレッチャーに横になりながら運ばれていく中、たくさんの看護師さんが「(私の)お誕生日おめでとうございますー!」と私の誕生日を祝ってくださいました。
逆に笑えてきちゃって、その気遣いがすごくありがたかったです。
みなさんニコニコで安心させようとしてくれてるのが伝わってきました。(きっと大変だったろうに・・!)
人生初の手術室。
担当の先生が「ちゃんと来ましたよーもう土曜日なのにー」なんておどけながら、しっかり準備をしてくれていました。
腰からの麻酔注入、ビリビリ痺れて結構な痛みだったのですが、この程度の痛みで子供が助かると思えば全然へっちゃらでした。
今思い返してもこのときの精神力は我ながら素晴らしく、この瞬間一気に「母」になった気がします。
麻酔は部分麻酔なので意識はあります。
冷たいコットンを当てられて、鎖骨あたりは冷たいって感じるのに胸から下は全く何も感じない不思議な体験でした。
そしていよいよ帝王切開。
と言っても何も感じないし何も見えないし寝そべっているだけなのですが。
「〇〇するよー」「気分悪くないー?」など、先生方が声をかけながら手術を進めてくださいます。
特に、麻酔科医の先生が常に気を張ってらっしゃるのがわかり(でも私には笑顔を崩さない)想像以上に大変で尊いお仕事をされてらっしゃる・・と感じました。
まだ肺ができていないので産声はないかも、と言われていましたが、「ふにゃぁ」と子猫みたいな声を2回聞かせてくれました。
ちっちゃいちっちゃい体が顔の横に運ばれてきて、指だけ握らせてもらえました。
でも私は触りたいとか抱きたいとか全くなく、いいから早く安全な場所へ?!と逆に焦りました。
普通はこの瞬間にもっと触れ合えるもんなのかな?
赤ちゃんは私よりも先に退室し、NICUへ連れていかれました。
産後~退院
出産後は、私はもう回復していくだけです。
・・と思いきや、なかなか大変な入院生活でした。
出産後のカラダ
手術後はまだ麻酔が抜けないので足は全く動かせず、看護師さんが夜中何度もおむつを取り替えに来てくれました。
あ、尿は尿管が入っているのでもらしてないです。
悪露による大量出血です。本当出産って命がけ。
足は機械がつけられ、ずっとマッサージしてくれてました。しゅこーしゅこー
血が回らなくなるからかな??
次の日から歩く練習がはじまりましたが、手術前よりむしろ歩けました。
もちろんヨボヨボとですが。人間の回復力ってすごい!
3時間置きの搾乳がはじまったり、排泄状態を記録したり、久々のご飯を食べたり、結構忙しかったです。
血圧の急上昇
血圧は徐々に下がっていました。
が、ある朝何度も測り直され「なんかデジャヴ・・・」と思っていたら急激な頭痛!
首から後頭部にかけて激しく痛み、脳内のすべての血管が爆発するかと思いました。
慌てて先生が飛んできて投薬。
先生、本当に必死で飛んできてくれたのがわかりました。有難みしかない・・。
目にタオルをかけ、数字を数えて落ち着いていくうち、痛みは治まって行きました。
夫がすぐ横でウロウロソワソワしているのがわかり、逆に落ち着かないあるある。笑(あれ、なんでこのとき朝なのに夫がいたんだろう?出産翌日だったから??)
妊娠高血圧を患うと、産後一時的に血圧が急上昇することはよくあるそうです。
数値は「聞かないほうがいいと思う」くらい高かったらしいので、200以上いったのかな・・へへ・・。
私の場合は、この1回きりでした。
自覚症状がないと、道中で突然倒れたりするらしいので、頭が痛くなったのはむしろよかったそうです。
出産後の気持ち
誕生日だったので、友達から「お誕生日おめでとう!赤ちゃん楽しみだね」的なメールがたくさん入ってきます。
普通の日ならこんなにいろんな人から連絡来ないから、なんとも不思議な気持ち。
その返信で親しい子には出産を報告できたので、よかったかもしれません。
出産直後は、もうお腹にいないのが変な感じ。
急に取り上げられてしまったようで妙に寂しくて、ひとりぼっちな気持ちになりました。
正常な週数までお腹で育てられなくてごめんね、ちっちゃい体で外に出してごめんね、など自責の念に駆られたり。
でもきっと大丈夫元気になる早く会いたいって前向きになったり。
文字通りコロコロと気持ちが入れ代わり、まさに情緒不安定でした。
でも、もちろんいろいろと思うところもありましたが、全体的にはそこまで悲観しておらず割と落ち着いていました。
むしろ我が子がいる喜び、母になった不思議さ、これからの楽しみの方が強かったです。
入院中に、夫と一生懸命名前考えました!
必死すぎて助産師さんに休みなさいと怒られる始末。笑
あとがき
こうして、私と同じ誕生日の女の子が誕生しました。
とにかくすべてが緊急で、心の準備もなにもあったもんじゃない出産でした。(でもみんなそうかな?)
逆に怖いと感じる暇もなくて、私にはよかったかもしれません。
まさにコウノドリ(この1ヶ月後ドラマが始まり夫婦で号泣するわけですが)本当に医療従事者のみなさまには頭が下がります。
医療の技術はもちろん、患者を不安にさせない配慮や、絶対救うという気迫・・物語ではなく、もろに実感したのははじめてでした。
そして何より、早く出したほうがいい母体、なるべくお腹にいたほうがいい胎児、両方にとって一番ギリギリのベストなタイミングを精一杯判断いただいたんだと思います。
だからこそ、今こうして元気でいられるのだと。
ご自身の生活もあるだろうに、本当に、ありがたさで胸がいっぱいです。
私の病気は、このあとも血圧監視は続いたものの特に問題なく治りました。
現在はまた80台に戻って安定しています。(本当に妊娠していることが原因なんですね)
これからは、誕生した娘の、とっても小さくて壮絶な戦いがはじまります。
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