妊娠高血圧症候群で超未熟児を出産した記録~娘の入院生活編~*2015年8月

妊娠高血圧症候群になり超未熟児を出産した記録。

今回は娘の入院編、ちっちゃくて壮絶な戦いです。

1記事でおさまるかな?!チャレンジ!

出産編はこちらをどうぞ。

※入院中の娘の写真も掲載しています。小さな赤ちゃんが管だらけになっている写真も含まれますので、ご理解の上進んでください。

どんどん大きく、赤ちゃんらしくなっていきます!

娘の入院生活

708gで産まれた娘は自分で息をすることもできなかったので、出産直後からNICUに入院しました。

出産後の様子

肺ができていないから産声はしないだろうと言われていましたが、「ふにゃぁ」と子猫のようなかわいい声を聞かせてくれました。

一瞬指をにぎったあと、私より先に手術室を出ていきました。

夫は、廊下で一瞬姿を見ることができたみたい。(もちろんクベースに入った状態ですが)

新生児科の先生が私の病室まで来てくれて、状態を説明してくれました。

・命に別状はないこと

・この週数にしては落ち着いていること

・輸血や投薬は必要なこと

とにかくまずは命が助かったことがわかって一安心です。

私は帝王切開の麻酔が切れていないので当日は会えませんでしたが、夫は面会できました。私も、翌日には一緒に面会に行けました。

このように、窓から手を入れて触れることができます。

菌など心配でしたが、なるべく両親が触れたほうがいいと指導していただきました。(状態によるとは思います)

まだ皮膚も薄くて、ヘタに触ったらやぶっちゃいそう。そっと包み込みました。

この病院は産科とNICUが同じ階だったので、私の産後入院中はすぐ近くにいれてすぐ会いに行けました。

身体が許す限り、なるべく面会へ。

でも入院中っていろんな時間が決まっていて意外と忙しいんですよね。

面会中は立っているかパイプ椅子かなので、あまり無理しないようにと注意もされました。

しかしすごい薬の数・・。

右側の6台にそれぞれ薬がセットされていて、時間や量を調整しながら投薬しています。(点滴みたいなもの)

投薬、酸素、値監視用の計器などでチューブだらけでした。

母乳は、搾乳したら冷蔵庫で保管して、面会時に持っていきます。

まだ飲み込むこともできないので、チューブで胃に直接ゆっくりゆっくり与えます。

味は感じるのか?何度か、口に直接綿棒で塗らせてもらいました。

手足も元気にバタバタと動かし、たまに目も開けてくれます。

両手にすっぽりおさまってしまう娘が本当に愛しかったです。

改めて見返すと痛々しいですが、当時はそんなことも微塵も思いませんでした。

「見るのが辛い」とかはありませんでした。ただただ私の天使だった。

今思うとちょっと不思議。

腸管穿孔で転院

産まれて5日目、朝から新生児科の先生が慌ただしく飛び込んできました。

前日から炎症の値があがっていたのでちょっと心配していたのですが、案の定、腸に穴が開いているとのこと。

まだ体ができていないのに酸素や母乳が入ることで穴が開くらしく、未熟にはよくあるらしいです・・。(確かにたくさんブログ見かけました)

入院していた病院では、新生児の外科手術はできません。

先生方が急いで転院先を探してくださいました。

私は夫に連絡。急いで駆け付けてくれました。

夫が娘と一緒に救急車に乗り、私はタクシーで転院先の病院へ。

娘は生後5日で救急車デビューしてしまいました。(私も乗ったことないのに)

転院先は、神奈川県のこども医療センターでした。

こども向け医療が充実した病院だそうです。

引継ぎが終わったようで、元いた病院の先生方は白衣のまま帰って行かれました。

救急車で移動中、ずっと娘に手動で酸素を送り続けてくれたそうです。

本当に、感謝してもしきれません。

こども医療センターの先生方から説明を受け、各種同意書類にサインをしました。

どの先生もすごく丁寧に説明してくださり、こちらでも安心して娘をお任せできました。

臨床データベースへの登録にももちろん署名しました。

娘の経験が未来の誰かの役に立ちますように。

手術まで時間があるとのことで、娘に面会。

炎症の影響で身体がパンパンにむくんでいましたが、元気に動いてはいました。

管理モニターの数値が下がるとピーンピーンというアラートが鳴ります。

退室しようとするたびアラートが鳴るので、なかなか離れられませんでした。

まるで「まだ行かないで」と引き留められているようでした。(このときは本気でそう感じました)

手術がはじまったのが夜8時。終わったのが夜10時でした。

腸管穿孔の手術は、人工肛門が必要になったりリスクも大きいのですが、特に想定外の問題はなく無事終了したそうです。

あんなちっちゃい体のなかにある腸ってどんな細さなんだろう・・。

先生方の技術力の高さと医術にただただ感謝です。

術後の娘は、なにかをやり遂げたような落ち着いた表情でスヤスヤと眠っていました。

私たちも安心して地元へ帰ります。

病院では産科の看護師さんたちが私の心配をしてくれていました。(私も産後で安静だって忘れてた)

ちなみに、転院ということは出産した病院を一度退院することになるわけで、娘のお会計が出たんですね。

なんと5日で100万円以上・・!

まだ保険証も医療証もなかったので、一時保留にしていただき、後日提示することで自分達の持ち出しは実費(おむつや食事代など)のみになりました。(1500円くらい)

ほんと・・国に生かされたな、社会制度ってありがたいなとこのときほど感じたことはありません。

海外などで出産してこのような治療を受けると、冗談じゃなく一生分の借金を負いますね。

こども医療センターでの入院

娘の転院して2日後、私も退院しました。

私が退院した日・面会頻度

退院した日、そのまま娘に会いに行きたかったのですが両親と夫により強制送還。

わかる、わかるんですよ。私自身も産後の体で無理しちゃいけないことは。

でも私の意見も聞かずに強制送還はほんと心が張り裂けそうでしたね。

ちっちゃい娘の姿が思い出されて、遠すぎて、悔しかった。

1日中泣いてました。

どんな無理をしてでも行く!ってつもりはなかったので、面会に行ける状態かどうか、ちゃんと話し合いたかったです。

その後は1日おきにタクシーで面会に。

1週間くらいで電車での通いに切り替え、身体が元気になってからはほぼ毎日通いました。週1日くらいはおやすみして家のこと片付けてたかな。

その合間は、医療証や養育医療の申請・受け取り、住民票の変更などなど、お役所回りも結構忙しかったです。

面会中の過ごし方

こども医療センターは特に面会時間の制限がなかったので(すごい)午前中から行って、気づけばあっという間に夜、という生活が続きました。

面会に行くと、はじめは指をぎゅっと握るのに、数時間経つと「もう飽きた」と言わんばかりに全然手をつないでくれなくなります。

今思うと、あんな小さい頃に意思なんてあったのかな?と不思議になりますが、そのときはそんな態度すら立派に感じていました。

すやすや眠ったり、たまに苦しそうにしたり、途中の処置(おむつ替えや身体の向きを変えるなど)を見学したり・・毎日ゆっくりした時間のなかであっという間でした。(日本語変だけどほんと不思議な空間だった)

お家や両親の匂いを感じるため、ガーゼハンカチを胸に数分あてたものをかけてあげるという文化があるそうです。

今は娘のためになにかできることがうれしい!

かわいいタオルを買って、洗濯してアイロンかけて・・そんな時間すら愛しかったです。

緩和ケア

声は出ませんが、思いっきり顔をしかめて泣くときはあります。

やっぱり痛かったり辛かったりするのかな・・とサイレント泣き顔を見て心配になる日々。

痛みの緩和ケアとしておしゃぶりを使ったり、ショ糖を使用したりする方法があるそうです。

入院時説明を受け、同意書に署名しました。

日々の成長

1本ずつ管が少なくなっていき、お腹のドレーン(排泄させるための管)が取れ・・と、日に日にちょっとずつ見られる変化がうれしくてたまりませんでした。

母乳は搾乳して凍らせたものを届けます。

そんなに量が出なかったので、母乳が足りなくならないよう、身体が大分動くようになってからは毎日通いました。

毎日数mlずつ飲める量が増えていくのが感動的でした。

退院(地元の病院へ転院)

3週間ほど経ち、地元の病院へ転院できることになりました!

体重は800gくらいになり、消化できる母乳量も増えてきたことなどから、戻っても大丈夫と判断されたようです。

私たちの面会の負担も加味されたようで、ありがたかったです。

近くに帰ってきてくれるのはすっごくうれしい!

最終日、病院側からの提案でカンガルー抱っこをさせてもらいました。

リクライニングした椅子に寝そべり、その上に赤ちゃんを乗せて包むケアです。

なるべく肌同士が触れ合うように、前開きの服を開け包み込みます。

いろんな管を一時的に外して、胸に乗せてからまたつけたり、となかなか大変な処置でした。

出産後約1ヶ月めにして初めての抱っこ

すごく軽いんだけど、しっかりと重みを感じて、とってもとっても愛しかったです。

娘はちょっとびっくりしたような顔をしたあと、すやすやと寝てくれました。

ちっちゃい手足がくすぐったかったです。

地元の病院へ転院

ついに娘が地元の病院へ帰ってきました!

人数や設備の関係でこども医療センターと同じ処置はできないので、ちょっと拘束(危険なので手袋をしたり)が多かったり、違う部分で戸惑うこともありました。

でも看護師さんは丁寧で、娘のこともとてもかわいがってくれました。

医療センターでもそうでしたが、こんなにちっちゃくて声も出さないのに、ちゃーんと赤ちゃん(人間)として関わってくださるのがすごく印象的でした。

呼吸器の軽減とミルク導入

転院後数日で呼吸器が口から鼻に変わり、声が聴けるように!

たまーに「あーあー」と声を出したり、しゃっくりするたびに「きゃお!きゃお!」と漏れ出たり。あーー録音したかったよーー(写真はOKでしたが録画は禁止でした)

今まではサイレントで顔をしかめるだけだったのに、大きな泣き声が出るようになったのも一安心でした。(看護師さんは大変そうでしたが・・!)

毎日搾乳がんばっていたのですが、ついに飲む量が搾乳量を上回り、ミルク導入になりました。

特に完母にこだわりがあったわけではないのですが、このときはすっごく悔しくて情けなくなっちゃって。病院で泣いちゃいました。

毎日6回以上の搾乳でバネ指になり、絞っても数滴ずつしか取れず・・吸ってもらえない乳ってなんてむなしいんだろうってすごく苦しかったのを覚えています。

電動搾乳機をレンタルしたりもしましたが、手動も電動もなかなか難しかったです。

転院後1週間ほど(生後1ヶ月)でさらに呼吸器が軽いものになりました!

前の呼吸器はずれやすく苦しそうだったので、シンプルなものになってよかったー!

カンガルーケア

容態も安定しているので、こちらの病院でもカンガルーケア開始です!

夫は休日しか来れないので、来れるときはなるべく夫に抱っこしてもらいました。

抱っこ中は、基本すやすや寝てるんですけど、もぞもぞ動いたり、こちらの顔を見ようと腕を突っ張って身体を持ち上げたり。

よくそんな力あるな!!ってびっくりするくらいでした。

本当ならまだお腹に入っている時期・・まだ1kgくらいの体重です。

そりゃ胎動が痛いはずですわ。(2人目の胎動を感じながら)

おむつ替えなど自分たちでできることも増えてきました。

未熟児網膜症

新生児科の先生だけでなく、いろんな科の先生が検査してくれるのですが、ある日眼科の先生からお話がありました。

未熟児網膜症が発症する恐れがあるとのことでした・・。

まだ目の血管が完成する前に生まれ、酸素を取り入れたことにより、網膜がうまく成長しなかったり変に曲がって成長したりしてしまうらしいです。

そのまま放っておくと失明などにつながるため、異常な部分はレーザーで焼いて治療する必要があるとのこと。

焼いた分視野は狭くなりますが、失明は免れるそうです。

まだ心配があるというだけで、レーザー治療決定ではありませんでしたが、なかなか衝撃でした。

成長して心配がなくなるまで、目の検査が続くそうです。(3歳現在、まだ定期的に検査してもらっています)

目の検査がまた胸が痛いのですが、これはまた別のときに。

クベースからの卒業・直接授乳

生後1カ月半の頃、いつも通り面会に行くと景色が違う・・?

なんと、クベースを卒業し外の世界へ出ていました!!

体重が増えてきたこと、体温調節ができるようになったことなどが判断材料らしいです。

クベースの中ではおむつだけだったので、お洋服着てるのがかーわいー♥(親バカ爆発)

抱っこも、カンガルーケアから普通の抱っこになりました。

まだ管はついてるのでむずかしいですが、看護師さんに頼まなくても抱き上げられるのがすごくうれしかったです。

直接授乳と哺乳瓶もはじまりました!(今までは管で直接胃へ注入)

このとき1300gくらいです。

やっと吸ってもらえる私のおっぱい・・!でもまだ体が小さいのとお互い慣れていないのとでなかなかうまくいかず。

吸いつきはするけど、ごくごく飲めはしませんでした。(もう母乳量自体もかなり減ってました)

娘も、「もう今日はこんなもんでいいっす」って感じで口を開けなくなります。なんだその貫禄!

哺乳瓶から飲んでいると、飲むことに夢中になって息を止めちゃうことがよくあります。

未熟児は息をするのを忘れちゃうことが多いらしいんですけど、特にミルク飲んでる時が多い!

この時期は飲ませるのが一番大変でヒヤヒヤでした。

呼吸器はさらに軽いものに。

大分すっきりして、抱っこするにも楽になりました。

呼吸器からの卒業

生後2か月になるころ、ついに呼吸器からの卒業です!体重は1500gくらい。

ちょっとずつちょっとずつ軽いものになって、酸素値が上がったり下がったりヒヤヒヤしながらもどんどん成長していき、無事卒業。

顔つきもだんだんしっかりしてきて、「生命体」から「赤ちゃん」になってきた感じです。

NICUからGCUへ

生後2か月と1週間、NICUからGCUへ移動になりました!

といっても隣のお部屋なんですけど、成長してよくなってきているってことだからうれしいー!!

ミルクの管もなくなり、ちゃんと口から必要な分全部飲めるようになりました。

今までは口か鼻にチューブを止められていたので、何もなくなったお顔はなんだか印象が違いました。

身体も大きくなってきて、抱っこも楽になってきました。(体重は1700gくらい)

小さすぎると収まりどころがなくて結構大変だったんですよね。

モニターがさらに軽いものになったり、自立哺乳になったり(ミルク飲むのが時間で決めるのではなくお腹のすいたタイミングに)、沐浴指導がはじまったり・・

退院に向けて準備が進みました。

そろそろ退院も見えてきたので、アカチャンホンポで一通りの赤ちゃんグッズを揃えました。

服からベッドから小物から、もうほんと、これでもかってくらいまとめ買い!

50サイズの新生児服がすごく巨大に見えて、こんなの着れるようになる日くるのかな?!って感じでした。

あとがき

次はいよいよ退院後の生活編。

いやーーーー・・長い!長すぎる!!

ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます申し訳ありません。

当時のことを思い出すと、まだまだ全然書き足りないんですけど(この日の変顔がかわいかったとかこの日のうんちはすごかったとか)、親バカきりないのでなんとかやめました!笑

この時期、もちろん心配だったんですけど、逆に病院でしっかり診てもらっている安心&この子は大丈夫っていう自信から、そんなにヤキモキはしていませんでした。

毎日顔見れてたし、むしろどんどん軽くなっていく計器や処置が楽しみでしたね。今日はなにができるかな?って。

娘よりも実母へのストレスが半端なかったです。

実母も、娘である私と孫である娘への心配でちょっとおかしくなってたんだとは思うんですけど、まぁーおせっかい。いいつもりでいらんこと言う。毎日を知らないのに過去の経験でマウンティングしてくる。

こちらが当事者でいっぱいいっぱいなのに、「心配してる自分」しか見えてなかったよね、と今振り返っても思います。

性格や環境でほんと人それぞれだとは思いますが、くれぐれも、出産後の家庭に「心配という名の負担」をかけないでください・・。

私も、将来そうならないように気をつけようと心に誓いました。

愚痴でしめっぽくなりましたが、ついに娘が退院!お家へ帰ってきます♥

次の記事では、お家に帰ってきてからどんな風に過ごしたか、どんな心配があったか、がメインになると思います。

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